日本第四紀学会
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だいよんき Q&A


弥生時代で、ムラ同士の争いがあった事が分かる遺物は残されていますか。

質問者 : 高校生(奈良県)

 

 弥生文化の戦いにかかわる直接的な証拠として,武器(石製や青銅製の剣など)の一部が突き刺さった状態で出土する人骨があります。このほか,社会的緊張の高まりを間接的にしめす証拠として,溝と土塁でムラ全体を囲った環濠集落,稲作には不向きな丘陵上などにつくられた高地性集落があります。木製のヨロイや盾,殺傷能力を高めるために大型化した石鏃,つぶてやパチンコ玉のように利用できる投弾も,戦闘のための実用品とみなされることがあります。こうした証拠は西日本で多く認められますが,戦いに関わる資料はいつでもどこでも豊富にあるわけではありません。たとえば,殺傷痕がある人骨は,弥生文化前期末から中期の北部九州に多い傾向があります。また,環濠集落や高地性集落は防御以外にもさまざまな役割を有していたことが判明してきており,一概に戦いに備えるための集落であったと言い切ることはできません。

 当時の戦闘が,質問にあるようにムラ同士で行われていたのか,より大きな組織間で行われていたのかはまだ解明されていません。しかし,中国の文献史料に記録されているクニ(奴国,伊都国など)の勢力争いが何らかのかたちで関係していたことは考慮しなければならないでしょう。

[文献]
佐原 真(1992)大系日本の歴史1 日本人の誕生,小学館
橋口達也(1999)弥生社会論―稲作の開始と首長権の展開―,雄山閣
福井勝義・春成秀爾編(1999)人類にとって戦いとは(1)―戦いの進化と国家の生成―,東洋書林
松木武彦(2001)人はなぜ戦うのか―考古学からみた戦争―,講談社
松木武彦(2007)列島創世記,小学館

回答者 : 高瀬克範
2016年6月20日掲載

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